もう、会えなくなってしまったとき後悔したくない・・・その為には親と距離を置くことです。
1歩引くと人は優しくなれるのです。
皆さんは高齢の親御さんに優しくできないときはありますか?
私は日常茶飯事です。冷たい態度をとっては後悔と自己嫌悪に陥ります。
そしてもっと優しく接しようと心に誓っては、またそっけない態度をとってしまいと同じことを繰り返してしまいます。
めっきり体力が落ちてしまい、この先ちゃんと生活が送れるのか不安に思ったり、どんどん衰えていってしまい、これ以上できないことが増えてきたら・・・と想像して焦りを感じてしまいますよね。また遠方に住んでいてなかなか会いに行けない人や兄弟、姉妹に世話をお願いしていると、うしろめたさを感じてしまい時には強く言ってしまうこともあるかもしれません。
私は76歳の母と同居しているシングルマザーです。自分の子ども達が大きくなり手がかからなくなって「自分の時間ができるかも」なんて思っていましたが、だんだん母ができないことが増えてきてました。普段はフルで仕事して、せっかくの休みには草むしりやら、母の片づけの手伝い、郵便物の確認、などなど時間が奪われてイライラが止まらずストレスでいっぱいです。年齢が52歳ということもあり更年期の症状もちらほらでてきて、美容の事、運動もしたい!でも時間がない!
時間がないのはもちろんすべてが母のせいではないことは頭ではわかっていますが、母になにか頼まれると心の中で「そのくらい自分でやってよ」「なんでできないんだよ」と少しづつ母を鬱陶しく、憎みはじめてきました。
そんな自分が嫌になり「何とかしなければこのまま認知症が進んだとき、私と母は共倒れになるかも」と危機感を覚え、母に毎日1mmずつでもいいから優しくできるようになりたいと介護関連の書籍を読み勉強しました。その中でも心に響き、わかりやすかった書籍をまとめ記事にしました。
そこでたどりついた答えは以下の2つでした。
①親と距離を置くこと
②年老いていく親の心を知ること
この記事では、親が亡くなってしまった時に後悔したくない、優しい気持ちで接したいと思うあなたへ親との距離の取り方やイライラする気持ちの原因を知ることにより罪悪感を持たない接し方を解説します。
いない方が楽なのに・・・って思ってしまうことはあなただけではありません。産んでくれた親だから「近くで面倒みることが親孝行」という外野の声は聞き流していいんです。「親孝行の呪い」にかからないようにして自分や親が少しでも幸せに感じられる関係でいられるようにしましょう。親が高齢になるころの私たちは50代の揺らぎ世代。更年期症状が出始めて心も体も不安定なお年頃です。親のストレスをうまくかわせるように更年期ケアも必要になりますね。
引用書籍:親不孝介護 著者:山中裕之/川内潤
何故冷たい態度をとってしまうのか?
何故優しくできないのかなぁ?優しく接したいけど母に対して心がもやもやするんだよ・・・
それでは何故優しくできないのでしょうか?
心理学的に子どもにとって親というものはある意味自分の一部でありかつ、いつでも帰れる安全な基地としていつまでも感じられています。たとえ親が高齢になっても自分にとってそういう存在であるとまで言われているそうです。
ところが親が老化して認知症になることなどによってその安全な基地が崩れてしまう、安心して帰れる場所が無くなっていく。これに直面することが子どもの心理にものすごい負荷をかけるそうです。
気持ちがかき乱されるので、実の親に対して「客観的に」「冷静に」と思っても非常に難しいところがあります。
だからこんなにもイラつき、こんなきつい言葉をぶつけてしまうのです。「そうじゃないだろう、きちんとしてくれないと俺(私)が困るんだよ」というような悲鳴をあげているようなもので、親の問題ではなく自分の問題ってことなのです。
このことを先に知っておくことが重要です。そうでないと必ず生じる親への怒りに「親に対してなんてことを」と罪悪感を覚えそれに押しつぶされそうになってしまうからです。
特に男性に強く、女性の方がお母さんも一人の女なのよねとクールにみることができる場合があるそうです。
何でこんなことするのか?その理由と、年老いた親のイライラする行動と対処方法などを別記事「自分の親に優しく接する方法は?」で解説しています。良かったら参考にしてください。
ご家族のテレビの大音量でお悩みの方へまず包括支援センターに相談しておく。
「まだちょっと早いかな」はもう危ないです。早めに地域包括センターへ相談してください。
認知症ではと疑う事態になる前から地域包括支援センターと連絡をとって「こういう老人がいる。今は元気だが年齢的にいつ何があってもおかしくないから、なにかあった場合どうすればよいか」と相談する。
早めに相談しておけば現状が整理でき今必要なことが見えてきます。今後何かあった時にすでに連絡先がわかっていてしかも事情を知っている人とコンタクトすることができます。
認知症になってからだと他人が家に入るのを嫌がることも多いので早めに準備した方が良いです。
※地域包括支援センターを詳しく解説した「親の介護そろそろかしら」別記事があります。リンクを貼っておきますので参考にしてください。
まだそんなの必要ないと怒りそうだけどうまくいって納得してもらおう。例えば「けがしたときは色々なものがレンタルできる」、「住宅改修費用の補助があるからね」などがいいかなあ
包括支援センターの役割
包括に話をしに行くタイミングは「最近なんだか様子がおかしい」と感じる前でも構わないです。
要介護認定の申請まで行かなくても、あるいは認定結果が出る前でも包括がそこで把握した状況に合わせて親を地域の活動に誘ってくれたり、介護保険を使わない地域の介護サポートの手配をしてくれたりすることもあります。
包括自身が介護予防の勉強会をしていたり、公民館や公園での健康体操を企画していたりします。
日々のちょっとした見守りの方法など本格的に介護が必要になる前の段階から、老化によるさまざまなトラブルを予防するための相談ができるようになっています。
包括をはじめとする制度を使えばちゃんと介護はできて、距離を保てて双方がハッピーということです。
引用書籍:親不孝介護 著者:山中裕之/川内潤
我が家の場合は、母が転んで腰を骨折したタイミングで包括支援センターに相談し、トイレや玄関に手すりをつける「住宅改修補助金」、置き型の手すりのレンタルを利用しました。レンタルできるものが沢山あります。一時だけなら購入せず介護保険を利用してレンタルしたほうがお得ですよ。詳しくは別記事「高齢者の親にイライラする反面、切ない気持ち」に書いてありますのでよかったら参考にしてください。
「仕事が休めない」そんな時は介護保険を使う場合の申請を包括に代理でしてもらえる
申請の「代行」を活用して仕事を休まず介護保険を申請しましょう。
仕事の休みがとりにくいタイミングでまたストレスがたまる・・・
代行申請依頼の手順
①包括へ「申請の代行を依頼」
包括へ電話をして、「親の要介護認定の申請の、代行をお願いしたい」とつたえる。そのときに日々の不安や困りごとを、箇条書きにして伝えると効果的。もし万が一、うまく取り合ってもらえない場合は、熱くならず改めて電話をして「センター長をお願いします」と伝えてみる。
②申請のための書類を準備する。
必要な書類は介護保険要介護(要支援)認定申請書。書類は役所のサイトからダウンロードできる場合もあるし、包括から送付してもらうことも可能です。このときの注意点として、郵送された書類を親に破棄、紛失されないように送付先は依頼人の住所にしましょう。
緊急の場合は申請書の作成も地域包括支援センターが親が記入できるように直接の支援を行ってくれる場合もあるます。
③役所へ申請
親の介護保険被保険者証(介護保険証)を親の住む市区町村の役所の窓口へ持っていき、申請します。
ここも包括による代行が可能です。申請者の身分証が必要になります。印鑑、主治医の診察券などが求められることもありますので、市区町村のホームページを確認してください。郵送の場合も同様です。
自分だけでは親の様子がわからず申請書の記入もままならないこともあります。申請自体を介護の壁にしないためにも包括に依頼して申請をやってもらいましょう。働きながら申請するためにもくれぐれも「介護保険証」は親御さんが元気なうちにどこにあるのか確認しておきましょう。
マニュアル通りには行かないし、子育て、仕事、家事に追われ、自分の時間が取れず、苦しくなる時がたくさんあると思います。自分が大変であれば優しくできないのは当然のこと。利用できるサービスは活用して自分を少しでも楽にしてあげましょう。
ベネッセおうちごはんは高齢者の方に安心・安全な食事です。メニューも豊富なのでとても便利です。
ご高齢者向けのお弁当・介護食の宅配『ベネッセのおうちごはん』親孝行って何だろう?親孝行したいから距離を取る
親孝行とは?辞書で調べると「親を大切にし、真心をもってよく尽くすこと。また、そのさまや、その人。」
親との距離が近すぎると辞書にあるような気持ちで接することは不可能ですよね。
わかっていても逃げられない親への怒り
「自分は親にきつくなっているな」と気づけるひとはまだいいんです。「母は私を苦しめようとしている」と思うひともいるそうです。それは安全な基地が失われたと認めるより意地悪されているほうがマシだからそう思いたい心理が働くからです。
子どもは安全基地がなくなる恐怖感を親に対してもっているとあらかじめ知っておいた方がいい。でも知っていれば親にたいして怒らなくてすむかというと、知っていたからと言って避けれれることではありません。理屈ではわかっていても感情はどうしようもないレベルの話なのです。
引用書籍:親不孝介護 著者:山中裕之/川内潤
安全基地の意味を知っていれば自分の怒りの原因がわかるから罪悪感に押しつぶされないよね。
解決策は会う回数を減らすこと
親に少しでも優しく接するために会う回数を減らす
親の事が心配で、何とかしてあげたいと関わる姿勢は正しいことだし、衰えていく親か目をそらし見て見ぬふりをすれば亡くなったあとに後悔で辛くなってしまいます。
しかし、「親のそばで暮らして、自分で介護しようとすること」は親との距離が近くなり、嫌でも衰えて色々なことができなくなっていく姿が目に入ります。そうなると不安を感じて怒りをがまんできなくなり、イライラやストレスを感じることになります。
「親孝行」どころか自分にも親にも大変なストレスをかけてしまいます。
基本的に親の介護は自分はマネジメントに極力徹するようにし、おむつ交換などのオペレーションには関わらないようにします。
自費の訪問介護・通院付きサービスなら【イチロウ】介護される親が一番支えになっていること
子どもたちが元気でいることが支え
介護される親から見ると、子どもたちが健康で前向きに暮らしているということが精神面で大きな支えになっているそうです。
「息子は今どうしているか」「娘は今日もちゃんと仕事にいけたかね」ということをかなり認知症が進んだ方が話すこともあるそうです。
家族のことがやっぱり精神面、心理的な面で非常に大事なところを占めています。
介護している家族が不幸せだったら、その影響は親御さんにも表れ不幸であると感じた家族が親を憎んでしまいます。
誰かの役に立っているという実感
認知症に限らず老いることで失っていくのは「誰かの役に立っている」という感覚です。
幸せな記憶を手掛かりに「誰かの役に立っている」という実感につなげていくことができたら、その人にとって思い出ではなく本当に「今、ここでの幸せ」を実感できます。
身内からすれば認知症になったら周りが気を使ってしまい、その人の役割を奪っていってしまいます。身内ほど心配して「お母さんはなにもしないで」とやることを奪ってしまいます。本人は不安になります。「お願いだからやらせて、私もあなたたちの役にたちたいの」と思っています。でも子どもには心配するなといっても無理ですよね。そこで介護の出番がくるのです。
ヘルパーさんに依頼したとき(介護度:要支援1の例)
【例】
1人暮らしの母が1人でいる寂しさが、けがをきっかけに大きくなってきた
ここでヘルパーさんを入れるタイミング。衝動的に親を引き取ってはいけない!
理由は親にも子どもたちにもそれぞれの日常があります。それが続く方が近くで暮らすよりも幸せなことが多いのです。
親の近くで介護できない自分は親不孝者だと思ったり、他人から親不孝と思われると考えてまいがちです。どうしても自分を責めたくなります。
しかし、そばにいないことが親孝行なんてことはないのです。
介護を手伝ってくれるわけでも、お金を出してくれるわけでもない第三者の目は自分や親の人生にとって関係ないのです。双方の幸せだけを考えることが大事なのです。
その根拠となる例をご紹介します。
要支援1の介護メニューと効果
ここで、最初に紹介した参考著書「親不孝介護」から事例を抜粋してご紹介します。
【メニュー】週2回、1時間ずつヘルパーさんがきて掃除と買い物、料理のお手伝い
【効果】週にたったの2時間の会話で母が復活!ヘルパーさんが入った次の週、母の声がいきいき、はっきりとしてきた。精神的に安定したのが伝わる。「直接ヘルパーさんとお話するのが楽しくて、楽しくて」と話してくれた。他人との生の会話が大事だと感じた。プロの方であれば親族とでなくてもかまわないのかと腑に落ちた。
久しぶりに会ったら美容院に行ってスッキリした顔で迎えてくれて、外食も喜んで平らげた。
一時の感情で母を呼び寄せなくて良かった。生活パターンを崩さずに元気になってくれて安心した。
「親孝行の呪い」とは
親孝行の呪いとは
- 自分の家か近くに呼び寄せる
- 積極的に会いに行く
- 介護そのものを自分でやろうとする
どれも親との距離が近くになりすぎることから「愛する親の悲しい姿」を突き付けられるストレスでだんだん親を憎むようになってしまうことが多いそうです。
親の人生と自分の人生を重ねないこと
親ができないことが増えていく段階にいると理解する
基本的に「やればできる」「やらなきゃできない」という人生観で私たちは日々を過ごしています。でも親はゆっくり「できない」ことが増えていく段階にいます。
「できない」とはあくまでも社会に参加する機能であって人としての知性や感性ではありません。
子どもはどうしても自分と親とをダブらせて見すぎて「自分はやればできるのだから親のあなたもできるはずだ」と考えてしまいます。
ところが親は老いを受け止めていくプロセスにいるのでその思考を強要すると絶対にうまくいきません。
いつも横になってテレビをみている姿をみて「だらしがない」「運動しろ」とかいってしまい、ずっとイライラが続いてしまうのです。
本当はだらしがなかったのかもしれない私の親
「お母さんは認知症の症状が出てからだらしなくなった」と感じるひとは少なくないと思います。こういう場合、お母さんとして立派にしようと頑張っていて子どもはその側面しか見えていなかったけど、本当の自然体の姿がそっちだったのかもしれません。
ひとりの女性として本当のお母さんはきちんとした、そういう人ではなかったのかもしれません。それが認知症で演技ができなくなって見えてきた本当の姿だったのかもしれません。
確かに私自身も親はこうあるべきと意識して子供に接していました。
ここは柔らかく受け止めましょう。お母さんとして頑張って見せてくれていた姿なんです。
「親は親、自分は自分だ」という線は絶対に持ち続けながら心に負担が出ない範囲でサポートをして、それが周りから「親不孝者」と見られても一切気にしないようにしましょう。
介護に入る前に誓っておくことは「理想の生活態度」を親に押し付けない。押し付ければイライラが増すだけです。
私もこのことを知るまではいつもゴロゴロしている母に対して「だらしがない」「運動してよ!筋力が落ちるよ!」としょっちゅう怒っていましたが最近は「このひとはこれでいいんだ」と思えるようになり少しイライラが減りました。
「おや?認知症ではないか?」と本人が思うこと
引用著書:介護しているあなたが一瞬で楽になる声掛け 著者:大石幸枝
初期(主な症状)
あれ?忘れた?微かな不安・・・
- ガスの火を消し忘れる(鍋を焦がす)
- ものの名前が出てこない
- 外出や人と会うのが億劫になる
- いままで好きだったことや趣味などに興味がなくなった
- 怒りっぽくなった
- 身なりを気にしなくなった(破れたのを着たり、年中同じものを着ている)
前期(主な症状)
私はどうしちゃったの?自分ではなくなっていくような怖さ・・・
- お金の間違えが多くなる
- 同じことを何度も聞く
- 慣れた場所で道に迷ったことを覚えていない
- ドラマの内容がわからない
- 最近の出来事を覚えていない
- 盗られたと思い込む
- 時間、日付、自分の居場所がわからない
中期(主な症状)
怖い・・・足元に穴が開くような感覚
- 他の人と自分と住む世界が違っているようで言われている意味が分からない
- 今まで自分は何をしてきたのか?茫然と立ち尽くすことが多くなる
- 心と体がバラバラになるように感じる
- 自分の頭がおかしくなったと訴える
後期(主な症状)
私は独りぼっち・・・宇宙に一人浮かぶような孤独感、よるべなさ
- 徘徊、異食、暴力行為等自分が何をしているのか全く判断できない
- 不安や焦燥感が独りぼっちという孤独感を呼ぶ
- わけがわからないとよく訴える、そういう自分に寂しさを感じる
※感情やその人らしさは最後まで残る。自分自身の変化と周囲の違和感に悩み続ける
認知症とはとても残酷な病ですね。すべてがわからなくなっている方が幸せかもしれません。
自分もいつか通る道なんだと思うと予防できることを実践したいと思いました。
認知症になっても4つの心は生きている
認知症になっても心が生きています。孤独感や寂しさを感じているということを理解し、こんな時はどう接すればよいかまとめました。
寂しさ、孤独を抱えている
自分自身がどうなってしまうのか、何も覚えていない怖さや周りの人たちと会話がかみ合わないことに疎外感を感じて広い大地に独りぼっちのような孤独感にさいなまれている。
こんな時は「大丈夫、私たちがいるから」と安心してもらいましょう。
人の気持ちを敏感に察する
こちらがイライラしていたり、せせこましかったりすると自分が何もできない悔しさやお荷物になっている意識で暗い気持ちを抱く。
こんな時は明るく接しましょう
相手を思う心
介護している人の体調などが悪かったりすれば心配している。優しい心が残っている。
感謝の気持ち
死期が近づくほど介護しているひとに「ありがとう」を言っています。無意識のうちに感謝しないと悔いが残ると思っている。
※過去に自分がどういう人間だったのか記憶されているので「そのひとらしさ」が残ります。過去の自慢話はとめどなく話します。誰が何と言おうがそれが自分の歴史だからです。聞いている人は静かに傾聴しましょう。
本人もとっても辛いんだね。わざとじゃないのに憎まれてしまうのは悲しいよね・・・
介護保険制度の詳細は理解しなくてもよい
親の介護を考えたときに介護保険制度やサービスってどんな種類があるのかしら?施設の詳細は?
「何もわからないから頑張って調べなくちゃ!わからないだけに不安だからしっかり調べよう」と思いがちですが詳細を理解することまではしなくても大丈夫です。「親が快適に生活していくためにはどんなサービスが、雰囲気が必須なのか」というところを私たちが知るべきところです。
介護制度の全容を理解するのは介護のプロであっても難しいそうです。複雑すぎて、理解しようとすればするほどいつまでも思い悩んでしまいます。
私たちの意識や視点は自分の親は使わないかもしれない制度の詳しい内容に置くよりも利用者となる自分の親に置くべきです。
「自分の親に合う介護サービスにはどういったものがあるか」をさまざまな介護サービスの知識のあるプロにたずねて情報を聞き出し、検討することに集中した方が時間を有効に使えます。
自分の時間はやりがいのある仕事や、家族の団らんに使って親がおだやかに過ごすためのケアはプロに任せること。自分で介護制度の理解をしようと本を開く前にまず親の話を聞きケアマネに相談することが遠回りのようで実は1番の近道なのです。
制度を知る前に、親の快適さや好みを理解することが大事なんだね。それをプロに伝えて親にあうサービスを提案してもらおう
「親愛なる子供たちへ」この詩を読むと少し優しくできる
「親愛なる子供たちへ」この詩を初めて読んだとき、涙が止まりませんでした。老いを感じている親の気持ちが表現されていて切なくなり、胸が締めつけられました。何度も同じ話をする母に「何回も聞いたよ!」とこの詩を読むまでは、母の表情も見ないで途中で話をさえぎっていました。その時の悲しそうな表情が私を追い詰めました。
私の母は星が好きで何度も流れ星をみたと同じ話をしてくるので、鬱陶しく思い聞き流していました。ふと表情をみたときに目を輝かせながら、本当に嬉しそうに話していました。「いつもこんなに笑顔で私に話かけていたのか」とその時もまた、苦しくなりました。
この詩を読んで少し年老いていく親の気持ちを知り少しだけ気持ちが変わりました。でも時が経てば和忘れてしまうのでいつでも読めるようにトイレに貼っています。
この詩の作者は不明でありポルトガル語で書かれていたそうです。
親愛なる子供たちへ 年老いた私がある日、今までの私と違っていたとしても どうかそのままの私のことを理解して欲しいほしい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れてもあなたに色んなことを教えたように 見守ってほしい
あなたと話すとき 同じ話を何度も何度も繰り返してもその結末をどうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末はいつも同じでも 私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましのまなざしを 向けて欲しい
楽しいひとときに 私が思わず下着を濡らしてしまったりお風呂に入るのを嫌がるときは 思い出してほしい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい いずれ歯も弱り、飲み込む事さえできなくなるかも知れない 足も衰え立ち上がる事すらできなくなったら あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたようによろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て哀しんだり自分が無力だと思わないで欲しい あなたをだきしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 私を理解して 支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけで私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい 私の子供たちへ 私の愛する子供たちへ
作詞:不詳 日本語詞:角智織、補作詞:樋口了一 作曲・編曲:樋口了一
まとめ
①年老いた親に優しくできないのはいつでも帰れる「安全な基地」がなくなるということが子どもの心理にものすごい負荷をかけるから。
②認知症ではと疑う前から地域包括センターと連絡をとっておく。認知症になってからだと他人が家に入ることを嫌がることが多いため早めに準備しておく。
介護申請が必要になった時は仕事を休まずに申請の代行を利用できる。
③介護するために親との距離を近くすることは親の衰えた姿や、振る舞いが目に入る。そうなると不安や怒りをがまんできなくなる。わかっていても逃げられない親への怒り。だから会う回数を減らす、距離をとりなるべくプロに任せる。包括をはじめとする制度を使えばちゃんと介護ができて距離が保てて双方がハッピーということ。距離を近くすれば「親孝行」どころか自分にも親にも大変なストレスをかける。
④介護される側の心の支えは家族の健や前向きに元気で生活できているか、自分は人の役に立っているという実感。
⑤近くで面倒をみなくてはという「親孝行の呪い」にかからない。お金も出さない、面倒も見てくれない第三者の意見は聞かなくて良い。自分と親の一番幸せな暮らし方を考える。
⑥認知症になってからも心は生きている。自分ではコントロールできないことが多くなり不安,怖さ、孤独感、寂しさを抱えている。死期が近づくにつれ感謝の言葉が増えてくる。
⑦介護保険制度や施設の詳細はプロであっても複雑ですべて理解することは難しいため、親の暮らし方や好みを考えてサービスを利用できるようにケアマネに相談し任せる。
⑧年老いた親の気持ちを綴った「親愛なる子供たちへ」という詩がある。
最後まで読んでいただきありがとうございました。この記事を書こうと思ったきっかけは、私自身が高齢者の母に対して優しくできない、「いない方が楽」なんて思うことがありそんな感情になる自分を責めて苦しくなってきたからです。何とか抜け出すヒントはないだろうか?と本を読みました。その中で出会えた書籍「親不孝介護」は「安全基地」、「親孝行の呪い」、「できるだけ介護をプロにまかせる」ということ、もう1冊の書籍「介護しているあなたが一瞬で楽になる声掛け」の中で認知症になった親の心理がわかったことで、少しづつイライラが減ってきました。数ある書籍の中でこの2冊は私の気持ちを救ってくれました。きっと私と同じよう高齢になった親に対して優しくできないと悩んでいる人がいるのではないかと思い一生懸命調べました。まだまだ勉強中ですが少しでもあなたの心が楽になってくれたらこんなに嬉しいことはありません。
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