【エッセイ】
高齢者の母のことが、いつも重荷に感じていました。「これどうやるの?」と何度も同じことを聞いてきたり、家事を手伝わない姿に、私は心の中で不満を募らせていました。仕事が終わり家に着くのは夜8時。それから食事の支度やら、休日は庭の手入れやらで、追われる日々。そんな中、腰が痛いと何もしなく(できなく?)なった母に自分の時間を奪われている気がして苦しくなってきました。
いっそ母がいない方がどんなに気楽だろうと思ってしまうことさえありました。
そんなある日、会社から帰ったら母が下着をはかずにソファーに座っていて・・・「お母さん!どうしたの?なんでパンツぬいでるの?」母はぼんやりとしていて「何が?」と言うだけ・・・この出来事が私の本音を引き出しました。
本心がわかった出来事
ゴールデンウイークの長期休暇明け2日後、仕事が終わり夜8時頃家についた。娘たちの車はないので今日は二人ともまだ帰っていないんだなと思いながら玄関を開けると、母の部屋の明かりがついていない。「あれ?いないのかな?近所の友達のところに行ったのかな?」と思いながら母の部屋を開けると真っ暗な中、パンツを脱いだ状態でソファーに座っていた。
顔を見ると目を閉じていて、眠っている様子。びっくりして「お母さん!どうしたの?なんでパンツ脱いでるの?」母はぼんやりしながら目を開けて「何が?何でだろう?」と言ってまたすぐに眠ってしまった。何度聞いても「何が?何もないよ」と言ってすぐに眠ってしまう。
「お母さん!どうしちゃったの!?」
母に八つ当たりをしてしまった
すぐに昨夜の出来事が頭をよぎった。昨夜は社会人になったばかりの娘が、夕飯の時間に帰れるということで娘のすきなおかずを作るつもりでいた。けれど、私の仕事が遅くなり、帰りに銀行に寄る予定でいたが世間は祝日。銀行のATMは閉まっており、仕方なくコンビニへUターン。その後ドラッグストアで買い物をして、家に着いたら連休中の大量のごみをごみ置き場へ持っていかなければならず、自分の中でいっぱいいっぱいになっていた。
母は気を使い庭のごみをまとめておいてくれたが、私は焦ってますオーラを出しまくっていた。そんな私の様子をみていた娘が、一緒にゴミ出しをしてくれたがイライラが収まらなかった。
久しぶりに娘とごはんが食べれると楽しみにしていて、「ゆっくりビール飲みながら食べよう」と考えていたが時間が遅れてしまい焦っていた。時間が遅れたのは母のせいではないのに、イライラがとまらない。
母に「自分の夕飯はたべたの?」と聞くと「まだ食べてない」という。「何でまだ食べてないの?仕事の都合でいつも作れるとは限らないから自分の夕飯だけでいいから、自分でやってって言ってるでしょ!」と強い口調で言ってしまった。すると母は「今日は久しぶりに〇〇(娘)がいるから作ると思ってた」その返事に心の中で「まったく人ばっかりあてにして!少しは自分でやってくれ!」と思った。そして母はだまって炊飯器のある2階に上がり、ごはんをよそって自分の部屋で一人で食べた。
母だって久しぶりに孫と食べたかったに違いない・・・
私はすぐにおかずを作り母に持って行ったが、母はもうベッドに入っていた。いつもなら「わ~ありがとう。」と言ってくれるが、その日は「もう食べ終わったよ」の一言。「うん。明日食べて」と伝え2階に戻った。それからずっと「かわいそうだったかな」とモヤモヤしていた。
翌朝も母は元気がないように見えた。私はずっとモヤモヤしていたので、会社の帰りに車に乗ってすぐに母に「今日は夕飯に餃子焼くからね」とラインを送った。しかし、既読がつかなかった。
そして、家に着いたら訳のわからない状況になっていた。家の中が所々濡れていて、濡れた下着も洗面所の床に置いてあった。娘たちと、1時間ほど離れた場所に住んでいる介護士の姉にすぐに連絡した。みんなすぐに連絡がついてとにかく良かった。
後悔した
もしかして昨夜の出来事が母の自尊心を傷つけてしまったのかもしれない。母がおかしくなったのは私のせいかもしれない。「ごめんなさい」と何度も思った。
母のスマホが2階のリビングに置いてあった。「洗濯物は取り込んで、たたむことはできたんだな。昼間はなんともなかったのか。」と思いながら母のスマホを開いてみると、ゴールデンウイーク中に私たちが一緒に訪れた本栖湖の富士山の写真が開いたままになっていた。その瞬間胸が締め付けられた。嬉しかったから今日も写真見てたのかな?
▼母と一緒に訪れた本栖湖で撮影▼
こんなに寂しいのか
母のスマホの開いたままの写真をみてどうしようもない寂しさが押し寄せた。こんなに淋しいと心が叫んだのは生まれて初めてだった。本栖湖に訪れたのはつい数日前。その日の道中はあまり天気が良くなく富士山は半分あきらめていたが、カーブを曲がったとたん目の前にどーん!と富士山が見えて二人で大喜びした。天気も回復してとっても富士山が綺麗だった。「もうどこにも一緒に行けなくなるのか?あの明るい会話がもうできなくなるのか?いやだよ~お母さん!」
私は泣きまくった。止まらなかった。母の手を握りしめずっと泣いていた。帰ってきた長女がそんな私の様子を見て、泣きながら私の背中をさすってくれていた。次女は泣きたいのに我慢していた。
母は私に「どうして泣いているの?」と聞く。「何でだろうね?お母さん」と答えると不思議そうに笑っていた。それがまた切なくて涙が止まらない。
それからパンツとパジャマをはかせてベッドに寝かせた。
さすが介護士の姉。頼りになります。
姉が到着した。泣きじゃくる私に「泣くな!」と一言。姉が母に「夕飯食べたの?」ときくと母は私に「ごはん?食べたっけ?」と聞いた。それがまた悲しくなって泣いた。涙の止まらない私に姉は「2階に行ってな!」と。そんなに泣いたら娘たちがかわいそうだろうという苛立ちからでた言葉だろう。
熱がある?
姉が脈をとったりしているうちに「熱があるよ」と言った。「えっ!あんなに手を握っていたのに全く気が付かなかった」39.5度もある。高齢なのですぐに救急病院へ連れて行った。検査をしてもらいながら点滴を始めて少しずついつもの母に戻ってきた。「痴呆が始まったのではなく高熱のせいだったのか。」検査の結果は「炎症反応があり感染症ではあるが、はっきりとした原因がわからないので入院しましょう。」とのことで入院となった。足に赤みがあることから「蜂窩織炎」(ほうかしきえん)の治療をしてもらい元気になった。
母には母の理由があった
母が入院中に母の部屋、トイレ、お風呂、洗面所、リビング、キッチンすべて掃除をした。
ものが多すぎる・・・とにかく汚い。視力が落ちていて良く見えないことも原因だと思うが掃除はすごく大変だった。掃除がやっと終わり綺麗になった母の部屋でお茶を沸かしていつも母が座っている場所に座って「はっ」とした。
母の部屋は1階で目の前が道路なので、目隠しにリビング側の窓に置き型の籐でできた日よけが置いてある。続きの隣の部屋の窓には同じ日よけを置かないで、突っ張り棒にレースのカフェカーテンをつけて目隠しにしている。何度か「開け閉めするのに不便だからリビングと同じものを置けば」と言ったが、かたくなに「これでいいの」と置かなかった。母と同じ位置に座ってみたら学校帰りの子どもたちが良く見える。時々近所の人も通る。「そっかぁ。1日中1人でいる母には子供たちや人が見えるのが寂しくないんだ。だからなんだね・・・」と、母には母の理由があった。これからは大したことない事に関しては「そんなことしない方がいいよ」とかうるさいことは言わないようにしようと思った。
まとめ
いつも母の存在が鬱陶しく感じていた。母を遊びに連れていかなきゃという義務感や母の発言が苦しくなる事が多かったから。でも母と会話ができなくなるかもと思った時のあの尋常ではない寂しさに自分でも驚いた。「あ〜これが私の本心なんだ」と。
これからは後悔しないように母に接しようと心に誓ったし、そうできると思った。また、日常の中で私にはわからなかった想いがあったんだなと感じた。私の価値観を押し付けていた事を反省した。
しかし、時が経つに連れてあの時の気持ちが薄れて、また鬱陶しく感じる時もある。「でもそれでいいんだ。」完璧でなくても、自分の心の声を知り、少しづつ母に優しく接することで十分だと。母との時間は限られている。その限りある時間を少しでも温かいものにしていきたいと今は思っている。
コメント